神無月好子のダメダメ日本日記

☆あんまりメディアで報道されないけど知ってたほうがいい大事なこと書いちゃいます〜☆
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これは簡単だ!45万!!
 ガザの虐殺やめてくれっていう署名です! 

英語ですけど、簡単だからわかります! 

現在「45万」の署名が集まっているそうです!! 

今はもっと増えているかもね!! 


https://secure.avaaz.org/en/gaza_time_for_peace/
戦争 | 11:35 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(0) | -
報道ステーション観た〜?
 古舘伊知郎さんのテレビ朝日の夜22時〜の番組 
報道ステーション 


(コメンテーターの方の名前がわからないけれども) 
古舘さんもコメンテーターの方も2人とも 
テレビの中ではっきりと 
「パレスチナのほうが1000人も亡くなって、イスラエルのほうは10人。これだけ亡くなった人数も、武器の質も違うのに、これを戦争と呼ぶのか?これは虐殺だ。」 
と言ってたよ 


ここのところ私もリンクしているけど 
ネットでもそのように述べている人が多いし 
ましてや大きな報道番組でもそう言ったのだから 
そろそろみんなで、こんな大虐殺を許さないと言うべきではないのかな 


みんなオウム真理教がやったことには反対するじゃない 
いかなる理由があっても、不意打ちとか、反撃できない人を殺しちゃいけないじゃない、国が違っても同じだ 
卑怯だぜ! 


今日渋谷の本屋に行ったら、GLAYの曲が流れた・・歌詞は 

『楽園よりもあなたがいるこの地上から風を運んで世界一のI love you〜♪』 


とても良い曲だ 


世界中の人がこの地上を楽園だと思えたらいいんだけどね 
天災なら悲しくても仕方ないけど、戦争=人災はひどすぎるだろう・・・ 
今ガザの人たちは、この地上を楽園だと思えないはずだ 


みんなが楽園だと思えるように 
私はこのガザ空爆、虐殺には反対する



下に、昨日mixiのほうの日記に転載させていただいたものを、貼っておきます
イスラエルでも、1万人もの人がこの空爆に反対するというデモがありました!
反対の声を上げられる立場にいる私達日本人は、こんなに静かでいいのか・・・・
もし、日本が同じような目に遭ったときに
「あ〜、日本はあの時何も助けてくれなかったからね。一回やられてみればいいよ。そうじゃないとわかんないんじゃない?」って思われて、どの国も助けてくれなかったら悲しいでしょう!?


そう、自分がされて嫌なことは他の人にもしてはいけない
そして、困っている人がいたら、助け合わなくちゃいけないんだ



2009年1月3日(土) 

テルアビブで大規模反戦デモ 

エフド・バラク〔国防大臣〕が軍隊にガザに対する残虐な地上攻撃を命令していたその頃、テルアビブでは、イスラエル全土から駆けつけた、戦争に反対する一万人あまりの人々が行進して、一大デモを行った。テルアビブの主要道路のひとつであるイブン・グヴィロル通りの4車線はデモの人々で埋め尽くされた。参加者は、ラビン広場からシネマテックまでずっと歌を歌い、旗を振りながら行進した。 

「選挙戦は子どもたちの死体の上でするものじゃない!」参加者はヘブライ語で韻を踏みながら叫んだ。「孤児や未亡人を選挙宣伝に使うな!」「オルメルト、リヴニ、バラクーー戦争はゲームじゃない!」「全閣僚が戦争犯罪者だ!」「バラク、バラク、心配するーーハーグ〔国際刑事裁判所〕で会おう!」「もうたくさんだーーハマースと話し合え!」 

プラカードに書かれているのも、同様の文言だった。バラクの選挙スローガンをもじったものもあった:「バラクに愛想がないのは、殺人者ゆえ!」(バラクのスローガンの原文は「バラクに愛想がないのは、指導者ゆえ!」 
こんなのもある:「2009年、選挙のための戦争にNOを!」、「6-議席-戦争!」これは、戦争初日の世論調査で、バラク率いる労働党が6議席獲得の見込みと発表されたことを指している。 

デモは警察との衝突のあとで始まった。警察は、右翼の暴徒がデモ隊を攻撃するのを抑えることができないからと言って、デモを禁じるか、少なくとも制約しようとしたのだった。なかでも警察は、デモの組織人たちに、参加者がパレスチナの旗を掲げるのを禁じるよう求めた。組織人たちは高等裁判所に請願、裁判所は、パレスチナの旗を合法と判断し、警察に 
デモ隊を暴徒から守るよう命じた。 

デモの実施は、グシュ・シャロームと、平和のための女性連合、壁に反対するアナーキスト、ハダシュ、オルターナティヴ情報センター、ニュー・プロファイルなど20団体が決定した。メレツとピースナウは公式には参加していないが、多くのメンバーがデモに現れた。〔イスラエル〕北部から約1000人のアラブ系市民が20台のバスを連ねて到着した。彼らは、サクニーンで行われたアラブ系国民主体の一大デモを終えてその足でやって来たのだった。 

組織人たち自身にとっても、これだけの規模の参加者があったことは驚きだった。「第二次レバノン戦争開始の1週間後、私たちが反戦デモの動員に成功したのは1000人だけだった。今日、1万人もの人々が参加したという事実は、今回の戦争に対して、はるかに強い反対があるということの証だ。もしバラクが自分の計画を続けるなら、世論は数日で全面的に戦争反対に転じるかもしれない。」 

グシュ・シャロームの巨大な旗にはヘブライ語とアラビア語と英語で次のように書かれていた:「殺人を止めろ!封鎖を止めろ!占領を止めろ!」参加者たちは、封鎖の解除と即時停戦のスローガンを訴えた。 

この抗議行動の日、極右は力ずくでデモを粉砕するために動員をかけた。警察は暴動の阻止に極力、努め、ラビン広場からシネマテックまでの1マイルの行進は比較的平穏に運んだ。しかし、参加者が警察との合意に基づき解散し始めたとき、暴徒の一大群集が彼らを攻撃し始めたのだった。 
警察は、それまで両陣営を近づけさせないようにしていたのだが、その場から姿を消した。暴徒たちはこのあと、デモ隊の最後尾の参加者たちを取り囲み、嫌がらせをし、小突き回した挙句、最後のデモ参加者たちの何人かがシネマテックに逃げ込むと、これを包囲した。彼らは建物の内部に押し入ろ 
うとし、デモ参加者を「片付けてやる」と脅したが、最後の瞬間、何人かの警官が到着し、入り口を守った。暴徒たちは長いこと、その場を立ち去らなかった。 

このような状況で、行進の最後に予定されていた市民集会を開くことができなかった。スピーチもなされなかった。以下は、ウリ・アヴネリがグシュ・シャロームを代表してするはずだったスピーチの翻訳である。 

彼らは私たちのことを裏切り者だという。 
彼らは私たちのことをイスラエルの破壊者だという。 
彼らは私たちのことを犯罪者だという。 

だが、私たちこそ彼らに言おう: 
犯罪者とは、 
この犯罪的かつ無益な戦争を始めた者たちだと。 

無益な戦争、 
なぜならカッサーム〔ロケット〕を止めることは可能だったから、 
ガザの150万の住民たちに対する封鎖を政府がやめさえすれば。 

犯罪的な戦争、 
なぜなら、なによりもまず、これは公然にして恥知らずにも 
エフド・バラクとツィピ・リヴニの選挙戦の一部だから。 

私は告発する、エフド・バラクを。 
彼はイスラエル国防軍の兵士たちを利用したのだ、 
国会の議席数をふやすために。 

私は告発する、ツィピ・リヴニを。 
彼女は双方が殺戮しあうことを支持したのだ、 
自分が首相になるために。 

私は告発する、エフド・オルメルトを。 
彼は自分の腐敗と汚職を糊塗しようとしたのだ、 
破滅的な戦争を利用して。 

私は彼らに要求する 
この法廷から、 
ここにいる勇気と分別に満ちた聴衆を代表して: 
戦争をすぐにやめろ! 
私たちの兵士たちや市民たちの血を無益に流させるな! 
ガザの住民たちの血を流させるな! 
地上部隊の侵攻がもたらすのは 
さらなる悲惨 
相互の殺戮 
そして、さらにおぞましい戦争犯罪! 
この戦争が終わったら、 
いかなる将軍も、逮捕されるという恐怖と無縁に、 
ヨーロッパの土を踏むことはできない。 

ほかに道はないのだと、 私たちは言われているが、 
それは嘘だ!!! 
停戦は可能なのだ、今ですら、 
そう、まさにこの瞬間にも、 
殺人的な封鎖を解除することに同意して、 
ガザの人々が尊厳をもって生きることを認め、 
ハマースと対話するならば。 

聞いてほしい、南部の人々、 
スデロット、アシュドッド、 ビールシェバの人々よ、 

私たちにもあなたがたの苦しみは分かるー 
あなたがたとともに暮らしてはいないけれど、 
私たちにはよく分かる。 
だが、私たちは、 
この戦争があなたがたの状況を変えはしないということもまた、 
分かっている。 

政治家たちはあなたがたを利用しているのだ、 
政治家たちは、あなたがたおぶさって、戦争を指揮しているのだ、 
あなたがたも分かっているはずだ! 

私は要求する、オルメルト、バラク、リヴニに: 
兵士たちをガザに送るな! 
お前たち3人みな、戦争犯罪人として告発されるだろう! 
お前たち3人みな、この代価を支払うだろう! 

今、お前たちに敬礼しているイスラエルの大衆は 
明日、お前たちを罰するだろう。 
第二次レバノン戦争で起こったことが、 
今度もまた起こるのだ。 

そしてここに立っているみなさん、 
女たちも男たちも、 
若者も老人も、 
ユダヤ人もアラブ人も、 
この身の毛のよだず戦争に 
最初の日から、 
最初の瞬間から、 
孤立し毒づかれながら、 
抗議していたあなたたちこそが、本当の英雄だ! 
誇りに思ってください、 心から誇りに。 
あなたがたは、ヒステリーと無知の嵐の只中に 
立っているのだから、 
その風に吹き飛ばされることなく! 
家のなかだけでなく、ここ、街頭においても、 
正気を失うことなく! 
世界じゅうの何百万という人々があなたがたに敬意を表しています。 
あなたがた一人ひとりに。 
一人の人間として、一人のイスラエル人として、一人の平和を求める者として、 
私は今日、ここにいることを誇りに思います。 

原文はこちら; 
http://zope.gush-shalom.org/home/en/events/1231029668 
戦争 | 22:51 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(0) | -
ガザの実態だよ!!これだけは読んでくれ!!
 とあるMLで教授が転載してくれていました。 
桑原茂一さんも、tycoon to$hさんも転載しています。 
スキコも転載します! 
みんなも転載してね! 

ガザでは、たくさんの子供達が手足切断の手術を受けているよ・・・ 
自分がそうなったら?自分の子供、家族がそうなったら? 
ほんと、我が身に置き換えて考えたい・・・ 


実家でお父さんとニュースを見ていた 
テレビでは、ハマスを武装集団、テロ集団だと言いまくっているので 
それは違う、そうではないということをお父さんと話した 

そこら辺がいまいち良くわからない方は 
ぜひ「きっこの日記」を読んでみてくだされ 
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/12/post-21e5.html 


以下転載↓↓↓ 


転送歓迎だそうです。 




Begin forwarded message: 

/////////////////《以下転送》////////////////////// 







友人、知人を通して、海外の重要な記事が翻訳され 
たものがメールで転送されてきています。 

これはガザに入っている唯一のノルウェー人医師から 
現地報告。 

『私たちは次から次へと切断手術をしている』 


ノルウェー政府の外交圧力、二人の医師の働きに頭が下がります。 

                        森沢典子 



********転送です〜転送可〜**************** 

ガザ地区から医師の報告翻訳 

 以下は中央ヨーロッパ時間の1月6日(火曜)午前9時半にドイツ紙『南 
ドイツ新聞』の電子版に掲載されたものの翻訳です。インタヴューの正確な 
日時が不明ですが、内容からしてガザの現地の5日(月曜)の夜中あたりだ 
と思われます。ガザには外国人記者が入れないため、地上戦開始下の病院か 
らの医師の報告として貴重なものと考え翻訳しました。この翻訳は「訳責; 
梶村太一郎/ベルリン」と明記された上で、どしどし転送して下さって結構 
です。 

原文;http://www.sueddeutsche.de/politik/752/453443/text/ 
ここではギルベルト医師の写真も掲載されています。 

以下翻訳、( )内は訳注。 

ーーーーーーーーーーーー 
(見出し)ガザ地区の市民犠牲者 
「私たちは次から次へと切断手術を続けている」 



(記事リード)イスラエルの地上進攻の開始以来市民の犠牲者の数は急増し 
ている。ノルウェー人のマッズ・ギルベルトは、現在ガザ地区に滞在してい 
る唯一の西側の(欧米の意味)ふたりの医師のひとり。ギルベルトはドラマ 
チックな報告をした。 

インタヴュー;トーマス・アウ゛ェナリウス記者 

(人物解説)マッズ・ギルベルト(Mads 
Gilbert)61歳、は麻酔医でノル 
ウェーのトロムソ大学教授。彼は新年から同僚の同僚の外科医エリク・ 
フォッセ(Erik Fosse)医師とともにガザ市のシーファ(Schifa)病院で手 
術をしている。ふたりはNorah (原文;Norwegian 
Medical Solidarity 
Organization Norah)の会員である。 

(インタヴュー始まり) 
南ドイツ新聞(以下SZ);ギルベルト博士、ガザの情況はどうですか。 

マッズ・ギルベルト(以下MG);今夕の情況はドラマチック以上のものだ。 
激しく爆撃されている。この48時間は大変に厳しかった。ガザ市の野菜市 
場への攻撃で多数の死傷者が出た。今日病院に運ばれた210人の負傷者の 
内だけでも35人が救急部門で死亡した。死者の内で18人が9歳以下の子 
供たちだ。私たちは次から次へと切断手術を続けている。廊下は切断手術を 
受けた患者でいっぱいだ。私はすでに手術をいくらしたか数えられない。 

SZ;犠牲者のうち子供と女性はどれくらいでしょうか。 

MG;今日、私はひとりの子供の手を切断手術した。この子は家族のうち11 
人を失っている。私たちのところに九ヶ月の赤ん坊がいるが、この子の家族 
は全員がイスラエルによって殺された。市民の犠牲者の数は急激に増加して 
いる。月曜日の晩には死者は540人、負傷者は2550人だった。死者の 
30パーセントと、負傷者の45パーセントが女性と子供だ。これまでで、 
子供の死者は117人、負傷者は744人だ。 



SZ;救助隊の作業はどんなに危険ですか。 

MG;今日は救急車二台が襲撃された。二人の救助隊員が殺されたが、彼らは 
狙われて攻撃されている。シーファ病院の隣のモスク(イスラム寺院)が空 
襲された。そのため病院の窓ガラスがすべて割れてしまった。今は外の気温 
は摂氏7度だから患者全員が震えている。医師や看護人ももちろん同じだ 
が。これら全てが理解を絶することだ。 

SZ;病院の職員の情況はどうでしょうか。 

MG;ひとつだけ強調したい。この病院には現時点で、医師、看護人、ボラン 
ティアが50人いる。私たちは爆撃音を聞きながら、負傷者を満載した車を 
待っている。私はこれまでに、彼らパレスチナ人の医師たちと助手たちほど 
献身的な働きをする人間を見たことがない。 

SZ;あなたはハマスの戦闘員も治療しますか。 



MG;その質問は適切ではない。私たちはここで医師として誰でも治療する。 
わたしたちはイスラエルの兵士にもそうするだろう。しかし、私は何百人も 
の患者を診たが、その内でハマスの戦闘員はたったふたりだけだった。 

SZ;何が最も緊急に必要でしょうか。 

MG;とりあえず緊急なのは、爆撃を停止し、イスラエルが境界の通路を開 
き、食料と燃料をガザへ運ぶことだ。 

SZ;あなた自身は安全ですか。 

MG;150万人のパレスチナ人が、この世界最大の牢獄に閉じ込められてい 
る。彼らは恐れてはいない。なぜ私たちが恐れるべきだろうか。 

SZ;あなたはどのようにしてガザ地区に入り込んだのですか。 

MG;私たちは元旦にラファ(Rafah)経由で入って来た。ノルウェー政府が 
エジプトの指導部に非常に大きな外交圧力を掛けたのだ。そのおかげで入っ 
て来れた。私はなぜ他の西側の医師たちが来ないか疑問に思っている。世界 
はここで何が起こっているかを見ることが出来ない。私たちだけが西側の代 
理人だ。私たちは、援助すべき医師なのだ。それと同時に私たちは世界中の 
メディアに電話で情報を伝えなければならない。同僚とここへ来ていらい、 
私たちは時間を忘れて働いている。あの音が聴こえますか。また爆撃されて 
いる。ここで話しを終わりにしなければなりません。 

(インタヴュー終わり。翻訳以上) 
「訳責;梶村太一郎/ベルリン」 

/////////////《以上転送》//////////////JUGEMテーマ:ニュース
戦争 | 20:37 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(1) | -
ひめゆり



5月26日から「ひめゆり」というドキュメンタリー映画がポレポレ東中野でロードショー公開されます。http://www.himeyuri.info/


明日5月5日には、新小岩メイシネマで1日限りの先行上映があります
http://homepage2.nifty.com/creatoise/maycinema/html/mc0705c.html




沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が行われました。
1945年3月23日、ひめゆり学園の愛称で親しまれた女学校から戦場へ学徒動員され、看護活動に従事した15〜19歳の少女たち。上級生にとっては卒業式の2日前のことでした。222人が戦場に動員され、123人が命を落としました
そのひめゆり学徒動員で生き残った少女たちは、今はもう80歳前後。1994年から、柴田監督が13年間撮り続けた証言をまとめたものが、ドキュメンタリー映画「ひめゆり」です


2月はその試写会に向けての広報のお手伝いをさせていただきました、たくさんの方に観に来ていただけて、メディアに取り上げていただいたり、コメントを頂く事ができました

宮本亜門さんは、『私の一生のお願いです。「ひめゆり」を観て下さい』と。


お友達の△ーパーコさん、スタイリストの高橋靖子さんがパンフレットに掲載のコメントを書いて下さいました
http://blog.goo.ne.jp/hwj-takahashi/


デザイナーの信國太志さんが、DAZED JAPANの映画レビューに、大きく取り上げてくださいました


坂本龍一さんが、3月4日のレディオサカモトの放送中に宣伝してくださって、サイトにもリンクして下さっています
http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/program/top.htm


ガルシアマルケスさんも、沖縄店にポスターを貼って下さり、もうすぐHPのニュース欄で紹介してくれます
http://groovinhigh.jp/


観に来てくれたaki69ちゃん、98ちゃん、カナメちゃん、しんこさん、ゆきさん、ゆうこさん、響さん、ひとみちゃん、誠治さん、ビデオ観てくれたカクマクシャカくん、and more 


たくさんのみなさんに感謝しています



映画の内容は、これから観てくださる方へのお楽しみですから、今日は3月4日に開かれた、上江田千代さんの講演会のお話を中心に書きたいと思いま〜す


「ひめゆり」というとアバウトですが、少し解説すると
ひめゆり学園の教師、生徒の中で、いわゆるドラマ化などされている沖縄陸軍病院での看護活動をした人が「ひめゆり学徒」と呼ばれています。15歳〜19歳の生徒222名と教師18名のうち、
生徒123名、教師13名が亡くなりました


まだ1年生で、「ひめゆり学徒」にはならなかったものの、別の部隊での看護活動や地上戦に巻き込まれて亡くなったひめゆり学園の方々は、
生徒88名、教師3名


合計すると、ひめゆり学園全体で、
生徒211名、教師16名、計227名もの尊い命が失われました


上江田さんは、1年生だったため「ひめゆり学徒」としては活動しませんでしたが、自ら志願し看護活動に従事されました

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1944年8月21日、対馬丸が那覇から九州へ学童疎開の生徒達を乗せて出航しました


しかし8月22日、米軍ボーフィン号による魚雷攻撃を受け
児童775人、一般人500人強が亡くなりました


当時日本では、教育勅語の影響を受けた軍国教育がされ、セーラー服も“外国のもの”という事で禁止になるほどでした


国家予算の75%が軍事費だったそうです


アメリカ軍は最初、慶良間諸島に上陸


10月10日には沖縄で初めての大空襲があり、1日中続いたそうです
警報が鳴るのが非常に遅く、鳴った時にはもう敵機が来ていて逃げられなかった


アメリカ軍は日本軍より賢く、飛行場、那覇の町、那覇の港の3点を重点的に攻撃し
沖縄戦の為の武器、弾薬、食料を全滅させたそうです


当時は、捕虜になるのは恥で、生き残れば家族が周りから白い目で見られてしまう
鬼畜米兵につかまれば女性は犯され股を裂かれ殺されるので
だから「死ね」(自決しろ)と教えられていたそうです


大地一面が本当に血の海だった。。。。


方言を使うものはスパイとみなされ、方言しか使えないお年寄りはみんな日本兵に殺された。。。。


泣く赤ちゃんを、「敵に見つかる」からと、母親に殺させた。。。。


これが、戦争の現実なんですね。。。。。
戦争映画など、所詮戦争を知らない人が作ったものでしかないんだな、という事をつくづく感じます


涙を誘う盛り上げシーンなどはまったくない、ただひたすら語られる体験談
しかしそれは映画などでは決して知る事ができない、想像を絶するものばかり。。。


当時、台湾に兵が大勢行っていたため、沖縄の日本兵は少なかった
沖縄の北側はアメリカ軍におさえられたので大変な激戦はなかったのですが、南に逃げた人が激戦の目にあいました


B29による空襲は日中のみなのですが、艦砲射撃は24時間続いていたので、外出する事など出来なかったそうです


「ざわわ〜〜♪」という曲が主題歌のドラマがありましたが、戦争はあんなのどかな“さとうきび畑"を歩けるようなもんじゃない!昼は絶対に歩けない、偵察機に見つかったら即攻撃を受ける、アメリカ軍はねずみ1匹逃さないほどだったといいます


ひめゆり学徒達は壕(洞窟)で看護活動に従事していました
壕には2種類あり、頑丈な洞窟と、高い山を削った横穴式のもろいものがあったそうです


学徒動員されなかったにも関わらず、当時の軍国教育の影響により
上江田さんは親が止めるのも振り切り自ら看護活動に志願し、もろい横穴式の壕で働いたそうです


血と汗と尿の臭いの酷い壕には、薬もなく軍医もいなく衛生兵すらもいない
ただ寝かせておいて、死んだら捨てるだけだったそうです


食料は1日1回ピンポン玉くらいのおにぎりだけ。。。


「あれを地獄というのだと思う」と上江田さんは言いました


映画の中でも、私がインタビューに同行させていただいた吉原秀子さんも、上江田さんも、みなさんおっしゃるのは
「眠った」という記憶がない。。。。
立って棒につかまりながらうとうとするのがやっとで、あとは働き通しだったと言います


ある日、壕の移動命令がでました。しかしそれは歩ける人だけが行くという事で、歩けない負傷兵は残らなければなりません
残った負傷兵には手榴弾が配られた。。。


軍国教育を受けていた上江田さんは
「私にも手榴弾を下さい」
「死に方を教えて下さい」
と言ったそうです
まだ15歳の少女だったのに。。。。


解散命令後に家に戻った上江田さん
娘の荷物から手榴弾を見つけた父は、どんなにか悲しかったでしょうか
それをこっそりと捨てたといいます


当時、まともな死体など見た事がなかったそうです
元気な男子は防衛隊に連れていかれるから、逃げているのは女子供とお年寄りばかり
負傷したらその場に置いて行くしかなかった


軍馬が腐った臭いは、クサイというレベルではない


足下がやわらかいな?ふわふわするな?と思うと、歩いているのは死体の上だった


出血多量になった人はとても水を欲しがるそうで
「水をくださ〜い」という蚊の鳴くような声は、忘れられないといいます


そして、伺っていて何より悲しかったのは、看護活動から生き残って
やっと家族3人で一緒に逃げようとした朝に
上江田さんの目の前で、お父様が「日本兵」に撃ち殺されたことでした。。。


上江田さんは、その事を何十年も口にする事ができなかったそうです
辛い思いをした人ほど、それを口にする事ができない。。。
そして、本当に悲しい時は、涙すらでない。。。
涙を流せるというのは、まだ精神が正常なのだ
考える暇もなく死体を捨てるようになってしまうのだ
ともおっしゃっていました


「戦争とは、そういうものなのだ」そう、上江田さんは言います


自分が逃げるのが精一杯で、家族の事を考えている暇もない
父を撃ち殺した日本兵のように、冷静な判断などできずとにかく生き残ろうと必死になり何でもする
それが、戦争だと


目の前で同級生が肉片になってしまう姿、その同級生の血で自分の全身が赤鬼のように真っ赤になる、父を殺される、、、、
そんな壮絶な体験を口にするのは、今でも身を削る思いなのでは、、、と思います


何十年も口にする事ができなかったその体験を、皆に語り伝えなくてはいけないと思い、話すようになったのは、戦後自分が勤めていた高校の生徒が、「お話を聴かせてほしい」と言ってきたのがきっかけだったそうです


この子たちのために、話さなければ、と。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上江田さん、インタビューをさせていただいた吉原さん、そして映画に登場するひめゆりのおばあちゃんたち、それぞれがした体験は違うけれども、みんながおっしゃる共通のことがあります


「二度と戦争を起こしてはいけない。あんなに辛い思いを自分の子供や孫には絶対にさせたくない。そのためなら命ある限り、どこへでも出かけて話続けます」と。。。。


「憲法9条は絶対に変えてはいけない!今の日本は、私達が子供の頃受けた軍国教育と同じ方向に向かっている」とも。。。。


「今劇場で上映されている美談の戦争映画やドラマから、戦争がああいうものだなんて思ってはいけない、そんなに甘いもんじゃない」など、自分のつらさだけではなく、未来の私達への思いやりなんです


「ひめゆり学園」は、難関で優秀な生徒があつまる学校だったそうで、おばあちゃんたちはみんな、とても聡明で品があります。
「日本は視野が狭かった。だから視野の広いアメリカが勝利した。今の若い人たちは、もっと海外に出たり、海外の事も知って、広い視野から日本と世界を見つめる必要がある」と、自らも海外へ旅に出かけていくそうです。


ひめゆりの他にも、白梅やずいせん、鉄血勤皇隊などの学徒動員があり、多くの若い命が失われました


私もそうでしたが、今まで知っていた情報はテレビや映画で作られた、フィクションのひめゆり物語ばかり。。。あまりにも真実と違い、自分たちへの取材もなく作られるフィクションが世に出る度に、おばあちゃん達は傷つき、憤ってきたそうです


それだけではなく、ひめゆりという言葉が勝手に一人歩きしていて、自分たちがアピールしていたわけではないのに、他の学徒の方々や沖縄県民の方から「なんでひめゆりばっかり!」とひがまれる事もたくさんあったそうです


戦争であんな体験をしただけでも本当につらい事なのに、戦後になって何十年なってからも、まださらに辛い思いをしなくてはいけないなんて、、、、悲しすぎます


おばあちゃんたちは、戦争というものが、どれだけ酷く二度と起こしてはいけないか、というのを伝えたいから、忘れたいような辛いことを話してくれているのに
こんな事があるから、最初は映画化されるのは嫌だと言っていたそうです、でも「わたしたちもいつかは消えてなくなる」からと、形として残る「映画」が完成したそうです


これだけ読むと、観に行こう!と感じてくれた人以外にも、重いな〜などと感じる方もいるかもしれません


でも、この映画の素晴らしい所は、その重さだけが残るわけではない所なんじゃないかな〜と思います☆


その体験が壮絶だからこそ、それを乗り越えて生きてきたおばあちゃんたちから、人間の魂や精神の強さ、生きる事の楽しさや素晴らしさまで感じられます


10代で亡くなった同級生に、戦後の平和な時代の思い出をたくさん話したい。。。と語るおばあちゃん。。
おばあちゃんたちの、この大切なお話を、多くの方にぜひ届けたい、と微力ながら神無月も願います!!


当日精算券や、割引鑑賞チケット、いつも持ち歩いていますから、お気軽にお声をかけてください♪

戦争 | 15:27 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(0) | trackbacks(0)