神無月好子のダメダメ日本日記

☆あんまりメディアで報道されないけど知ってたほうがいい大事なこと書いちゃいます〜☆
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耐震偽造!!姉歯、小嶋よりひどいZ!!
先月のニュースになりますけれども、私が普段ライター活動として良く書いている
青森県六ヶ所村核燃料再処理工場 という、いわゆる「核」「放射能」を扱う施設においてですね、
耐震設計偽造、隠蔽の問題がありまして


有名な、「きっこの日記」などでも書かれたわけですが
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/04/post_e53f.html


詳しくは、原子力資料情報室のサイトを見ていただきたいのですけれども
http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=524


ま〜、多少言葉に語弊は出るかもしれませんが、わかりやすく書くためなので、お許しを
姉歯と小嶋の問題が、原子力の施設だったらみんな超問題にするでしょう!?
あんな施設が震災になったら、まじでチェルノブイリどころじゃない事故になる可能性も非常に高いので、こればっかりは


国会で討論してほしいくらいです!!姉歯がヅラだとわかるくらいニュースにしてほしい〜〜〜〜


読むのめんっどくせ〜、とか、事故が起こるかどうかわかんね〜んだから関係ね〜よ
というのもアリですが、知っていて損はございません
いえむしろ、怒ってくださいな



原発も再処理工場も「核」を扱いますから、当然耐震設計は普通の家より厳しくなっています(なってないと困るよな)


それでもね、これらの核関連施設が建っているところって、
静岡の浜岡も、青森の六ヶ所も、活断層の上なんですよね、、、、


そんなわけでただでさえ問題なもんですから、
今年の1月に新しい指針ができましてね


新しい指針、、、、という事はですね、
前より基準が厳しくなったって事ですから
昔の基準で建てられた施設は大丈夫なのですか?と不安になりますよね〜
で、原発立地の過去のデータを調べたてているわけなんですけども


まぁ、、、、見事発覚してしまったのですよ、、、
耐震設計偽造が、、、


それも、私が何度も「超危ねぇ!」「超放射能汚染!」
と書いている、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場で


施設のどこのどれかっていうのは、書くとながくなるので割愛しますけれども


要は、耐震設計する計算の時に、数値を「50」と入れる所を「1/50」と入れてしまった、というような事なんですわ
(逆に入れてしまったんですな〜、どうしようもないね)


あの〜、、、ふつうより50倍強いはずを、50分の1にしたら、どうなるでしょうか、、
IKKOさんも「どんだけ〜〜〜」って言うわ!!!


それも、、、核を扱う施設で、、、、


まぁ、50という数値は、私達にお話を聞かせてくださった原子力資料情報室の方が、
例としてわかりやすく話してくれた数値なのかもしれませんから、50ではないかもしれません
が、たとえ3分の1だったとしても、普通より低いなんて、困るわ!!!


まぁ、核関連施設の耐震ですから、もともと一般よりも、何十倍も高いのでしょうから、
それを逆算してしまったら、相当弱い建物になるわけですよね


日立の子会社、日立エンジニアリングサービスがやったんだそうですが
その当時、そのミスに気がついていたのに、
仕事が忙しいからと、そのままほったらかしにしたんだとか!!!
もう、どんだけ〜〜〜〜!?


それで、さらにまた悪いのがですね〜


4月13日に、この耐震設計ミスの報告を受けたのに
4月17日まで、発表しなかんたんですよ!!


その4日間に何をしていたかと言いますと


今、六ヶ所村の再処理工場は、11月に本格稼動をしようとしていて、
試験運転をしているんですけれど


試験には第一ステップからず〜っと何段階かありまして
丁度その頃第三ステップの試験をしている途中だったんです


でも、耐震設計ミスがバレると、試験を中止しなくてはなりません


なので、この4日間の空白を作り、
第三ステップの試験を強行して終わらせてしまったんです!!


だから、ミスじゃなくて、偽造ですよね、これは


しかも!!!第4ステップの試験も、本格稼動も、
この耐震に弱い設備のままやるって言いやがって


おいおいおい、上島竜兵じゃなくても「殺す気か」って怒りますよ〜
しつこくIKKOも言いますよ「どんだけ〜〜〜〜〜〜!!」


作り直すのが、超大変だから、、なんですって、、、

でも、このせいで11月の本格稼動開始が延期になりそうですけど☆

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この空白の4日間に、原子力資料情報室の方が、放射能測定に行ったらしいんですが


ニュースでも、「核のゴミ・高レベル放射性廃棄物」として、
高知県の東洋町の町長が、町民に無断で施設誘致の調査の受け入れをしたと問題になっていましたけれども


なんで、そんな問題になるかというと、
高レベル放射性廃棄物っていうのは、側に人がいれば2秒で死んでしまうっていうほど放射能が強い、危険なものだからなんですが


で、そんなに危険な高レベル放射性廃棄物っていうのがある建物の側で数値を量ったら、346cpm だったそうなんです


ところが!!使用済み核燃料をせん断(再処理してプルトニウムを取り出すだめにぶった切る)する施設のそばでは、
7187cpm もあったそうなんです!!!


どんだけ〜〜〜〜〜!!! やばいでしょう? 
側にいたら2秒で死ぬようなもののある施設の20倍の放射能だよ〜〜〜〜


だから、、、普通のメディアには出ないし、青森は東京よりも遠いし、原発も今の所チェルノブイリ級の事故にはなってなくて

みんな、いつも通り暮らせているから、何にも変らないと思っているかもしれないけど、
事故が起きていなくても、メジャーな情報に流されないだけで、

実は、どんだけ〜〜〜〜〜!!の放射能が測定されているんだから、
これは気にしないとヤバいわけなんです〜


たしかに、原発反対とか再処理反対!って今まで言って来たほとんどの人が、
良い事は言ってるけど、人に受け入れてもらいやすい話し方もしてこなかっただろうし、
それはそれでイケない所もあるだろうけれど


その人たちが反対してきたのには、それなりの理由があって=本当に危険だから、愛情があるからで、、、
こういった、素晴らしい情報も教えてくださいます
(長年培った知識をまとめて教えてくださって、本当にありがたい)


が、私は、そういった所になかなか反応しない人たちにも伝えられるような、
美しい入り口、受け入れられやすい入り口を作りたいと思う


ガルシアマルケスとコラボしたバックだけじゃなく、これからもいろいろ、そっち方面でもがんばりたいなって
(ま〜、美しい入り口の必要性などの事は長年感じていて、のちのち、改めて書きたいと思っていますが)
がっつり倒れる寸前までやりますから、どうぞスキコを引っぱり上げて下さい☆(倒れるもんか!)


アースデイに来てくれるような人とか、反対運動の集会にも来てくれるような人、スピ系の人、環境系の人なんかには、みんなの努力のかいあって、本当に随分とこの問題は広まってきた


でも、そこにまったく関わらない人、そこからは情報を得る事がない人もたくさん世の中にはいる
けれど、知っている人にも知らない人にも、同じ様に放射能汚染はやってくるわけで、、、
放射能は、知ってる人かそうでないかなんて、選んじゃくれないからね、誰でも襲われるから


やっぱり、まず、みんな知らなきゃいけないよね〜


だから、スキコの日記、絶叫男の時みたいにアホ話じゃない時もあるかもしれないけど、
コメントなんかいらないから、ただ読んでもらえたら、うれしいな〜と思っております


5月18日にSuper Deluxeであったイベントでも、坂本さんや茂一さんやSUGIZOさんが、そんな事を言っていました


AKI69や△ぱちゃんや98やタカシくんやMisaoさんやゆうこさんや望月さんやのりちゃんやとしちゃんやBBさんやティナちゃんやえみちゃんや、、、、、
書ききれないけどいろ〜〜〜〜んなステキな人がそんな気持ちを共有してくれているからウルトラ励みになるし、
本当にみんなにはお世話になって、いつも感謝の気持ちでいっぱいです


stop-rokkashoはじめ、いろいろな所で関わるみなさんからもたくさんの知識や情報を教えていただけて、感謝しています

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話は変わりますが、六ヶ所村に実際に行って何か行動をしてみたい、という方もいるかもしれませんので、いくつか記載しておきます


こういったツアーなどじゃないと、青森県の「村」ですから、
着いた後こそ、交通の便等が良くないので、なかなか行く機会を持てないと思うので


●8時に青森駅に集合すると、六ヶ所に行けるようです

[原水禁や原子力資料情報室が呼びかけている集会]
1.日時 6月16日(土)14:00〜15:00 屋外集会
             15:00〜15:40 市内デモ
             16:00〜18:00 全国交流集会
6月17日(日)9:00〜15:00 フィールドワーク
2.場所 16日 全国集会  青い森公園 青森県庁東側横
全国交流集会 青森県労働福祉会館4F大会議室 
     17日 フィールドワーク(六ヶ所再処理工場・活断層ほか)
   集合/青森駅8:00
3.内容
?.6.16「六ヶ所再処理工場稼動阻止全国集会」(屋外集会)
  主催  止めよう再処理全国実行委員会
(原水禁、原子力資料情報室、青森県実行委員会ほか)
  規模  県・300人、全国150人

?.六ヶ所再処理工場稼動阻止全国交流集会(屋内集会)
主催 止めよう再処理!全国実行委員会
規模 200人
  講演会 「原子力立県?−青森の将来」
      「国策破綻の歴史と六ヶ所再処理工場」(仮題) 
  講師   西尾漠(原子力資料情報室)/鎌田慧(ルポライター)
  各地報告

?.六ヶ所村フィールド・ワーク
  集合 8:00 青森駅
     15:00 青森駅解散(予定)
 内容 再処理工場、活断層等の見学
抗議と放射能拡散アピール、調査のための再処理工場正門前で風船
飛ばし(約1000個)を実施。
  参加費 2500円(弁当付き)


●韓国へ向かうピースボートが青森に寄港するそうで、六ヶ所の事を伝えるメッセンジャーになると半額でいけるかもしれないらしいです(半額だと17万円くらいだそう)
http://www.peaceboat.org/cruise/0707/index.html
http://www.peaceboat.org/info/event/0521.html
原発問題 | 21:54 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(1) | trackbacks(0)
ひめゆり



5月26日から「ひめゆり」というドキュメンタリー映画がポレポレ東中野でロードショー公開されます。http://www.himeyuri.info/


明日5月5日には、新小岩メイシネマで1日限りの先行上映があります
http://homepage2.nifty.com/creatoise/maycinema/html/mc0705c.html




沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が行われました。
1945年3月23日、ひめゆり学園の愛称で親しまれた女学校から戦場へ学徒動員され、看護活動に従事した15〜19歳の少女たち。上級生にとっては卒業式の2日前のことでした。222人が戦場に動員され、123人が命を落としました
そのひめゆり学徒動員で生き残った少女たちは、今はもう80歳前後。1994年から、柴田監督が13年間撮り続けた証言をまとめたものが、ドキュメンタリー映画「ひめゆり」です


2月はその試写会に向けての広報のお手伝いをさせていただきました、たくさんの方に観に来ていただけて、メディアに取り上げていただいたり、コメントを頂く事ができました

宮本亜門さんは、『私の一生のお願いです。「ひめゆり」を観て下さい』と。


お友達の△ーパーコさん、スタイリストの高橋靖子さんがパンフレットに掲載のコメントを書いて下さいました
http://blog.goo.ne.jp/hwj-takahashi/


デザイナーの信國太志さんが、DAZED JAPANの映画レビューに、大きく取り上げてくださいました


坂本龍一さんが、3月4日のレディオサカモトの放送中に宣伝してくださって、サイトにもリンクして下さっています
http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/program/top.htm


ガルシアマルケスさんも、沖縄店にポスターを貼って下さり、もうすぐHPのニュース欄で紹介してくれます
http://groovinhigh.jp/


観に来てくれたaki69ちゃん、98ちゃん、カナメちゃん、しんこさん、ゆきさん、ゆうこさん、響さん、ひとみちゃん、誠治さん、ビデオ観てくれたカクマクシャカくん、and more 


たくさんのみなさんに感謝しています



映画の内容は、これから観てくださる方へのお楽しみですから、今日は3月4日に開かれた、上江田千代さんの講演会のお話を中心に書きたいと思いま〜す


「ひめゆり」というとアバウトですが、少し解説すると
ひめゆり学園の教師、生徒の中で、いわゆるドラマ化などされている沖縄陸軍病院での看護活動をした人が「ひめゆり学徒」と呼ばれています。15歳〜19歳の生徒222名と教師18名のうち、
生徒123名、教師13名が亡くなりました


まだ1年生で、「ひめゆり学徒」にはならなかったものの、別の部隊での看護活動や地上戦に巻き込まれて亡くなったひめゆり学園の方々は、
生徒88名、教師3名


合計すると、ひめゆり学園全体で、
生徒211名、教師16名、計227名もの尊い命が失われました


上江田さんは、1年生だったため「ひめゆり学徒」としては活動しませんでしたが、自ら志願し看護活動に従事されました

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1944年8月21日、対馬丸が那覇から九州へ学童疎開の生徒達を乗せて出航しました


しかし8月22日、米軍ボーフィン号による魚雷攻撃を受け
児童775人、一般人500人強が亡くなりました


当時日本では、教育勅語の影響を受けた軍国教育がされ、セーラー服も“外国のもの”という事で禁止になるほどでした


国家予算の75%が軍事費だったそうです


アメリカ軍は最初、慶良間諸島に上陸


10月10日には沖縄で初めての大空襲があり、1日中続いたそうです
警報が鳴るのが非常に遅く、鳴った時にはもう敵機が来ていて逃げられなかった


アメリカ軍は日本軍より賢く、飛行場、那覇の町、那覇の港の3点を重点的に攻撃し
沖縄戦の為の武器、弾薬、食料を全滅させたそうです


当時は、捕虜になるのは恥で、生き残れば家族が周りから白い目で見られてしまう
鬼畜米兵につかまれば女性は犯され股を裂かれ殺されるので
だから「死ね」(自決しろ)と教えられていたそうです


大地一面が本当に血の海だった。。。。


方言を使うものはスパイとみなされ、方言しか使えないお年寄りはみんな日本兵に殺された。。。。


泣く赤ちゃんを、「敵に見つかる」からと、母親に殺させた。。。。


これが、戦争の現実なんですね。。。。。
戦争映画など、所詮戦争を知らない人が作ったものでしかないんだな、という事をつくづく感じます


涙を誘う盛り上げシーンなどはまったくない、ただひたすら語られる体験談
しかしそれは映画などでは決して知る事ができない、想像を絶するものばかり。。。


当時、台湾に兵が大勢行っていたため、沖縄の日本兵は少なかった
沖縄の北側はアメリカ軍におさえられたので大変な激戦はなかったのですが、南に逃げた人が激戦の目にあいました


B29による空襲は日中のみなのですが、艦砲射撃は24時間続いていたので、外出する事など出来なかったそうです


「ざわわ〜〜♪」という曲が主題歌のドラマがありましたが、戦争はあんなのどかな“さとうきび畑"を歩けるようなもんじゃない!昼は絶対に歩けない、偵察機に見つかったら即攻撃を受ける、アメリカ軍はねずみ1匹逃さないほどだったといいます


ひめゆり学徒達は壕(洞窟)で看護活動に従事していました
壕には2種類あり、頑丈な洞窟と、高い山を削った横穴式のもろいものがあったそうです


学徒動員されなかったにも関わらず、当時の軍国教育の影響により
上江田さんは親が止めるのも振り切り自ら看護活動に志願し、もろい横穴式の壕で働いたそうです


血と汗と尿の臭いの酷い壕には、薬もなく軍医もいなく衛生兵すらもいない
ただ寝かせておいて、死んだら捨てるだけだったそうです


食料は1日1回ピンポン玉くらいのおにぎりだけ。。。


「あれを地獄というのだと思う」と上江田さんは言いました


映画の中でも、私がインタビューに同行させていただいた吉原秀子さんも、上江田さんも、みなさんおっしゃるのは
「眠った」という記憶がない。。。。
立って棒につかまりながらうとうとするのがやっとで、あとは働き通しだったと言います


ある日、壕の移動命令がでました。しかしそれは歩ける人だけが行くという事で、歩けない負傷兵は残らなければなりません
残った負傷兵には手榴弾が配られた。。。


軍国教育を受けていた上江田さんは
「私にも手榴弾を下さい」
「死に方を教えて下さい」
と言ったそうです
まだ15歳の少女だったのに。。。。


解散命令後に家に戻った上江田さん
娘の荷物から手榴弾を見つけた父は、どんなにか悲しかったでしょうか
それをこっそりと捨てたといいます


当時、まともな死体など見た事がなかったそうです
元気な男子は防衛隊に連れていかれるから、逃げているのは女子供とお年寄りばかり
負傷したらその場に置いて行くしかなかった


軍馬が腐った臭いは、クサイというレベルではない


足下がやわらかいな?ふわふわするな?と思うと、歩いているのは死体の上だった


出血多量になった人はとても水を欲しがるそうで
「水をくださ〜い」という蚊の鳴くような声は、忘れられないといいます


そして、伺っていて何より悲しかったのは、看護活動から生き残って
やっと家族3人で一緒に逃げようとした朝に
上江田さんの目の前で、お父様が「日本兵」に撃ち殺されたことでした。。。


上江田さんは、その事を何十年も口にする事ができなかったそうです
辛い思いをした人ほど、それを口にする事ができない。。。
そして、本当に悲しい時は、涙すらでない。。。
涙を流せるというのは、まだ精神が正常なのだ
考える暇もなく死体を捨てるようになってしまうのだ
ともおっしゃっていました


「戦争とは、そういうものなのだ」そう、上江田さんは言います


自分が逃げるのが精一杯で、家族の事を考えている暇もない
父を撃ち殺した日本兵のように、冷静な判断などできずとにかく生き残ろうと必死になり何でもする
それが、戦争だと


目の前で同級生が肉片になってしまう姿、その同級生の血で自分の全身が赤鬼のように真っ赤になる、父を殺される、、、、
そんな壮絶な体験を口にするのは、今でも身を削る思いなのでは、、、と思います


何十年も口にする事ができなかったその体験を、皆に語り伝えなくてはいけないと思い、話すようになったのは、戦後自分が勤めていた高校の生徒が、「お話を聴かせてほしい」と言ってきたのがきっかけだったそうです


この子たちのために、話さなければ、と。。。

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上江田さん、インタビューをさせていただいた吉原さん、そして映画に登場するひめゆりのおばあちゃんたち、それぞれがした体験は違うけれども、みんながおっしゃる共通のことがあります


「二度と戦争を起こしてはいけない。あんなに辛い思いを自分の子供や孫には絶対にさせたくない。そのためなら命ある限り、どこへでも出かけて話続けます」と。。。。


「憲法9条は絶対に変えてはいけない!今の日本は、私達が子供の頃受けた軍国教育と同じ方向に向かっている」とも。。。。


「今劇場で上映されている美談の戦争映画やドラマから、戦争がああいうものだなんて思ってはいけない、そんなに甘いもんじゃない」など、自分のつらさだけではなく、未来の私達への思いやりなんです


「ひめゆり学園」は、難関で優秀な生徒があつまる学校だったそうで、おばあちゃんたちはみんな、とても聡明で品があります。
「日本は視野が狭かった。だから視野の広いアメリカが勝利した。今の若い人たちは、もっと海外に出たり、海外の事も知って、広い視野から日本と世界を見つめる必要がある」と、自らも海外へ旅に出かけていくそうです。


ひめゆりの他にも、白梅やずいせん、鉄血勤皇隊などの学徒動員があり、多くの若い命が失われました


私もそうでしたが、今まで知っていた情報はテレビや映画で作られた、フィクションのひめゆり物語ばかり。。。あまりにも真実と違い、自分たちへの取材もなく作られるフィクションが世に出る度に、おばあちゃん達は傷つき、憤ってきたそうです


それだけではなく、ひめゆりという言葉が勝手に一人歩きしていて、自分たちがアピールしていたわけではないのに、他の学徒の方々や沖縄県民の方から「なんでひめゆりばっかり!」とひがまれる事もたくさんあったそうです


戦争であんな体験をしただけでも本当につらい事なのに、戦後になって何十年なってからも、まださらに辛い思いをしなくてはいけないなんて、、、、悲しすぎます


おばあちゃんたちは、戦争というものが、どれだけ酷く二度と起こしてはいけないか、というのを伝えたいから、忘れたいような辛いことを話してくれているのに
こんな事があるから、最初は映画化されるのは嫌だと言っていたそうです、でも「わたしたちもいつかは消えてなくなる」からと、形として残る「映画」が完成したそうです


これだけ読むと、観に行こう!と感じてくれた人以外にも、重いな〜などと感じる方もいるかもしれません


でも、この映画の素晴らしい所は、その重さだけが残るわけではない所なんじゃないかな〜と思います☆


その体験が壮絶だからこそ、それを乗り越えて生きてきたおばあちゃんたちから、人間の魂や精神の強さ、生きる事の楽しさや素晴らしさまで感じられます


10代で亡くなった同級生に、戦後の平和な時代の思い出をたくさん話したい。。。と語るおばあちゃん。。
おばあちゃんたちの、この大切なお話を、多くの方にぜひ届けたい、と微力ながら神無月も願います!!


当日精算券や、割引鑑賞チケット、いつも持ち歩いていますから、お気軽にお声をかけてください♪

戦争 | 15:27 | author 神無月好子/かんなづきすきこ | comments(0) | trackbacks(0)